平成27年度 第3回 青森市所蔵作品展 小島一郎 展(11/11~15)
生誕80周年寺山修司展・澤田教一展 ~青森から世界へ~ 併催イベント
平成27年度 第3回 青森市所蔵作品展 小島一郎 展
期日
2015.11.11(水)〜15(日)
10:00~20:00(最終入館 19:30)
会場
青森市民美術展示館 2階展示室
主催
一般財団法人 青森市文化スポーツ振興公社
共催
青森市教育委員会
協力
青森県立美術館/サトウユウジ
後援
東奥日報社/毎日新聞青森支局/朝日新聞青森総局/読売新聞青森支局/陸奥新報社/デーリー東北新聞社/NHK青森放送局/青森放送/青森テレビ/青森朝日放送/エフエム青森/青森ケーブルテレビ
問合せ
一般財団法人 青森市文化スポーツ振興公社 リンクステーションホール青森(青森市文化会館)
〒030-0812 青森市堤町1丁目4-1 TEL.017-773-7304
★チラシPDFファイルはこちら(4.8MB)
小島一郎 KOJIMA Ichiro
戦後、国産力メラの普及やフォトジャーナリズムの発展を背景に、 アマチュアの写真熱が高まった写真界において、生まれ故郷、青森を被写体とし、鮮烈な足跡を残した一人の写真家がいました。小島一郎。
大正13(1924)年、青森市大町で、玩具と写真材料を扱う商店の長男として生まれた小島は、青森県立商業学校(現:青森県立商業高等学校)を卒業後、出征。戦後の混乱期を経て、昭和29年頃から本格的に写真を始めます。津軽の農家の庭先や雪原の一本道といった何気ない題材から、日常を超えたイメージを引き出す突出した造形感覚と確かな技巧は、日本の報道写真の先駆者、名取洋之助に見出され、早くから東京で紹介されました。またこの時、小島の写真店でアルバイトをしていた津田教ーに大きな影響を与えました。昭和36年には、プロのカメラマンを目指し上京。同年に発表した『下北の荒海』でカメラ芸術新人賞を受賞し、その後の活躍が期待されます。しかし、郷土を題材とした写真で世に出た小島にとって、住み慣れぬ都市で新たな展開を図ることは、想像以上の困難を伴うものでした。募る焦燥感の中、東京での不振な仕事ぶりから抜け出すべく、北海道の四季の撮影を決意。昭和38年冬、現地に赴きますが、撮影は難航します。度重なる過酷な撮影行から、体調を崩した小島は、期待した成果を得る事なく青森に戻り、体力の回復を待ちながら、細々と写真の仕事を続けますが、昭和39年7月、39歳の若さで急逝しました。
《略歴》
1924年 青森市大町(現:本町)に玩具と写真材料を扱う「小島商店」を営む家の長男として生まれる。父・平八郎も写真家で、青森県の写真界の草分け的な存在であった。
1941年 青森県立商業学校(現:青森県立青森商業高等学校)卒業。
1944年 入隊。中国各地を転戦。
1946年 春、復員。
1951年 家業の写真材料商を手伝い始める。
1953年 松井弘子と結婚。
1954年 《パイプ》で東奥美術展特選。父・平八郎が創始した写団「北陽会」会長に就任(1961年まで)。
1961年 上京し、フリーのカメラマンに。《下北の荒海》で「カメラ芸術」新人賞受賞。
1963年 新潮社から「津軽 一詩・文・写真集-」(文・石坂洋次郎、詩・高木恭造)が刊行される。年末から翌年にかけての冬季に行なった北海道での撮影旅行中に体調を崩す。
1964年 青森市内で死去(享年39)。