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第4回アートでオン!フォーラム 第3部「ラウンドテーブル」

ラウンドテーブル第4回アートでオン!フォーラム「新しい広場をつくる」
●日時:2015年10月31日(土)18:30~21:00 
●ラウンドテーブル:20:05~21:00
●会場:新町キューブ グランパレ
●メンバー:平田 オリザ 氏、青森市長(鹿内 博)、青い森音楽祭実行委員会(三上 伸和)、なべげんわーく合同会社(佐藤 宏之)、青森演劇鑑賞協会「還暦の歌」制作実行委員会(鎌田 秀勝)、(一社)BLUE ties impression(川戸 元貴)、青森ジュニアオーケストラ(對馬 文敏)、ファシリテーター(嶋中会長)、アートでオン委員(立木副会長、三澤監事、竹浪委員)

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討論内容

(嶋中ファシリテーター)
時間も押しておりまして、非常にタイトな時間で恐縮ですが、進めて参ります。
まず、最初に、ご挨拶で申しあげたとおり、やっぱり平田さんのお話を聞くにはちょっと時間がきつすぎたな。という反省があります。ずっと聞いていたいなと思った次第です。
ただ、これもひとつご挨拶で申しあげたとおり、
これは借り物ではなくて、私達は私達の街を、私達の手でつくらないといけない。ということで、これから話をすすめていきたいと思います。
まさに、平田さんの今日のテーマで「新しい広場をつくる」は今日のこの場はまさにそういったことだなと思います。こういうのをきっかけにしたいし、こうゆうふうにもっていきたい。さて、今日のテーマと言いますかルールですが、「未来を想像するとういう意志」。
これに向けて、みなさん活発なトークをお願いいたします。
それではまずここのテーブルで、市長にはすみませんが、最後に頂くとして、平田さんの基調講演の感想を一言ずつ、それぞれ各1分程度でお願いしたいです。

(青い森音楽祭実行委員会)
いきなり振られましたので、ちょっとあれですけども、私が一番印象に残ったのは、やはり超一流のアートに触れる社会、これがまあ必要なんだなあ。
もちろん青森出身の音楽家たち、世界で活躍している優秀な演奏家も沢山いらっしゃると皆さんご存知かと思います。
そういう演奏家を今後青森に呼んで、子供達とともに音楽を創っていく、これは先程の話でありました、協調性とか主体性そういうものを取り組んでやっていきたい。
平田先生のお話を詳しく聞いて行きたいと思います。

(なべげんわーく合同会社)
いろいろと興味の持てるすごいためになる話をいただいたと思っているのですが、特に、地方が大都市以上に無駄を許容できなくなっているとか。
文化による社会報酬によって社会的弱者の社会参加を促すことなどにより最終的には社会的なコストはむしろ下がる的な。先程も話ありましたけど、超一流の芸術に触れることは今後の社会に有効な投資であると。
私自身のつまらない話なんですが。神戸牛のステーキを食べたとき、今まで食べたステーキはステーキではなかったんだと。大同江の焼き肉リブロースを食べたとき、本当の美味しい肉っていうのは溶けるんだ。この間、名古屋で食べたひつまぶしを食べたときなどに、本物を知らないと本物はわからない。まずいものがわからないと思ったんです。
今回のお話は実感として感覚でわかるもので、楽しかったです。ありがとうございました。

(青森演劇鑑賞協会「還暦の歌」制作実行委員会)
平田さんのお話を聞きながら、青年団が中三の8階で公演したとき、地震があって二人で非常階段を下りたことを思い出して懐かしいなって思っていました。
オリザさんの本はいろいろ読んでいて考え方が面白いなっていつも思っています。そんな中に「劇場文化」を日本にも定着させたいということが書いてあって、僕自身の中でもそういう「街づくり」ができたらいいなって思い活動しています。

((一社)BLUE ties impression)
本物に触れるっていうのがすごく、共感してて、凄く感じたのは、自身は子供たちの指導をしているんですけども、そこで高校と大学、プロまで一貫指導になっています。舞台っていうのはエンターテイメントだったり、アートなのかな、そこにスポーツというものがはいってきて、スポーツを通して、教育だったり、そういうモラルだったりいろんなものが伝えられる。
小さいうちから、今青森の高校・大学っていうのは日本一で、それに常に触れている子供たちなので、それを見ながら育った子供たちがプロになるため、指導していく。価値観を上げるとともに心の教育だったり、青森県で男子新体操をつかって、つくっていけるのかなというように感じました。
つくるのは大変なのかなと思いますが、だれかがやらなければいけないと思っているので、舞台と並行して、育成の方ですか。そっちのほうも確実にやれたら楽しめるのかな。お話を聞いて感じたので、いろいろ企画してやっていきたい。

(嶋中ファシリテーター)
すばらしい。未来を想像するというミッションに最適なお話です。

(青森ジュニアオーケストラ)
ジュニアオーケストラは高校3年生になって、卒団ということになりますけど、ほとんどの子が関東地方へ。青森でも活躍してもらいたいなぁと思っています。

(嶋中ファシリテーター)
続いて、委員の方から竹浪委員お願いします。

(竹浪委員)
皆さんと一緒なんですけど、やっぱり今後もいいものをつくっていくことが大事だってことですね。ねぶたを作ってますので、特にうちの場合は絵を見に美術館、東京までいきますけど、見て知っていても、画集や図録で見る絵と美術館での大きさや、その絵の前に立った時の、感覚が全然違います。単に絵を見るだけではなしに、視覚的なものから美術館の中の音、光、それから極端にいえば香り、さらには人の出入りの中の雰囲気、そういったものも、全く違う世界があるものだし、常にいいものにふれているとやっぱり感覚的にもかなり養われていく気がします。本当にありがたいお話しいただきました。

(嶋中ファシリテーター)
続きまして、立木委員お願いします。

(立木副会長)
オリザさん、ありがとうございます。
今日はもうすこし話を聞きたかったんですけど、というのも、たしかに地方は東京に比べると、一流のものに触れる機会が少ない。そうすると、そういうものを受容できる人がいなくなってしまうという、論理的なお話だったと思うんですけど。
私は東京にいまして、青森に20年ぐらい暮らしているんですけど、東京は二子玉川に住んでいて、多摩川の水を飲んでました。川に近いからいい水を飲んでいると思ったら大間違いで、川が汚いので浄水場しかけて、お風呂の水の下に、消毒液がたまって鍾乳洞のようになっている不味い水を飲んでたんですね。全然不味いとは思っていなかったわけです。
こちらにきても真水がおいしいと思っていたけど、東京の水と変わらないと思ってて、平田さん的に言うと舌が麻痺して、美味しい水が全然わからなかった。今は東京の水、不味いと思います。最近少し良くなったかな。それを考えると東京ばかりいいものがあるわけではない。
牧さんの話がでたので、油川温泉っていうところにいったら、牧さんの色紙が飾ってあって、温泉に牧さんの言葉がかけられていて、これこそ文化なんじゃないのかな。と思っていて、青森でも超一流のアートに触れられればそれはそれでこしたことないけど、東京と同じではおもしろくないわけで、もう少し時間があったら、あともう30分ぐらいそちらの方の話を聞きたかった。ラウンドテーブルではそういったお話をお聞かせ頂きたいと思います。

(嶋中ファシリテーター)
続きまして、三澤委員お願いします。

(三澤監事)
どうもありがとうございました。とても楽しいお話でした。
話しの中で、「地頭を鍛える」ということがでていましたけれど、確かに文化的部分では青森は発信が全然少ないです。でも、地頭を鍛えるという部分は、僕は青森は素晴らしいと思っているのです。東京から青森に住んでわかったのですが、味覚一つとっても、これだけ味覚の豊かな美味しい町はありません。仕事柄日本中歩いて見てきたのですが、これだけの食文化は、他にあるものではありません。素晴らしいことだと思うのですね。そういった部分でも地頭を鍛えるという部分は青森県は持っているんだなぁ、と感じました。
あともう一つはわれわれアートでオン委員が進めている方向性が間違っていなかったんだと感じました。以上です。ありがとうございました。

(青森市長)
平田オリザさんありがとうございました。そして各グループの活動ありがとうございました。
牧さんのお話を平田さんがしましたので、牧良介さんが、私はそう思っていますが、よく生前言われていたのは、この青森の町が嫌で、嫌いで、青森の町を出ていく人もいる。しかし、そうではなくて、嫌なことがあったり、悪いことがあったとすれば、まずそれをもっと良くしよう、そしていい町にしよう、そういうことで活動していく人もいる。牧さんは、おれはそうしたいなということで、津軽弁の芝居をずっと支えてきたわけですが、改めて平田さんのお話を伺って、牧さんの言葉を思い出しました。

(嶋中ファシリテーター)
さて、それではちょっと時間も時間ですので場面転換しまして、助成する5団体、当然皆さん御苦労されていらっしゃいますし、こういったすばらしい活動をさらに発展させるために、なにが問題なのか。といった問題意識をもちかえるために御披露いただきたい。これは全員でなくていいのですが。

(青森ジュニアオーケストラ)
大都会のジュニアオーケストラは、入団するためにはオーディションをやっているところが多いようです。一緒にやれる程度にあるかどうかのオーディションです。函館や青森ではオーディションをやっていません。音楽をやりたい人たちは、誰でも来てくださいということで活動しています。一人一人にかかる指導がとても大変ですが、反面喜びでもあります。
子どもたちが成長していく姿を見つめることができるということはとても嬉しいです。そういうこともあるので続けることができています。

(嶋中ファシリテーター)
ありがとうございました。
青森ジュニアオーケストラさんは毎年35年も続けておられて、それだけでも大したものですけど、他に、たとえば、ブルーさんとか、これから継続発展させていくために、なにか考えられること、障害になっていること、問題等ありませんか。

((一社)BLUE ties impression)
問題とは思っていませんが、スポーツに関しては、できる子とできない子の二極化とよく言われています。遊ぶ機会の減少など様々な要因はありますが、自分は子供たちの指導がメインなんですけども、学校の先生が一番苦労しているのかなと。上手な子たちだけでやるとレベルの高いゲームができる。そうなっちゃうと下の子がサッカーできない。下の子たちにレベルを合わせると上の子がつまんない。という現象が起きてきているのかな。
そこを改善できるような場所、今後子供たちが和気あいあいとできるようになって欲しい。
高齢者以外に短命県ということもあり、見るとサンドームを走っていたり、高齢者と子供たちが健康でつながって欲しい。子供たちの運動を基準に戻していきたい。

(嶋中ファシリテーター)
なるほど、ほかにどなたかありませんか。なければ、ここで平田さん、先程みなさんの感想をお伺いしていましたが、なにかコメントありませんか。

(平田オリザ氏)
立木さんの御質問にお答えするとすれば、東京のアートがいいということではなく、東京の子達が有利だ。それの一番のポイントは国際性。
Jリーグが成功した、J2のチームにさえ入っていれば、代表チームに呼ばれる可能性があって、国際試合に出られる、そこに希望がある。地方が世界に直結している。
アートは基本的に国境を越えるので、世界と直結しているというのが大前提、兵庫県豊橋市城崎国際アートセンターの藝術監督をやっているんですけど、アーティストレジデンスに特化している施設で、世界中から本当に驚くほどの超一流のアーティストがみんな来ているわけです。一つの単体のアートを作るなら500万、1000万かかるようなアーティストがみんな自腹できて、1ヵ月、2ヵ月滞在して作品を作る、その間に地域の子供たちにワークショップしてもらったり、稽古をしてもらったり、市の支出はほとんどないです。
豊岡市のキャッチフレーズは「小さな世界都市」といって、東京を目指さない、豊岡ですべての世界のアートに触れることができる、豊岡で全部世界のアートに触れることができるんだったら、東京を目指す必要がなくなるだろうという考え方。だから必要があればニューヨークでもパリでもいけばいい、東京経由でいかなくてよくなる、っていうのが豊岡の戦略。
要するにその要素を持てるかどうか、今のところその要素をもっているのは東京しかない、残念ながら、アートにおいては。だから一回みんな東京経由でいかなければならない。というところが問題なんです。
ご存知の方もいらっしゃるかも知れませんが、隠岐の島の高校、非常に改革に成功した高校なんですけど、「ふるさと」を卒業式で歌うんですけど、歌詞が一ヶ所だけ変わっているですね。もとは「志を果たしていつの日にか帰らん」ですけど、あそこだけは「志を果たしにいつの日にか帰らん」になっている。東京は必要な知識や情報を受ける場であって、でも志を果たしに故郷に必ず帰ってくるといって出ていく。島の子達は一回は外にでなければならない。
先端的な自治体はみんなそういう方針をとって、世界と直結して、東京は道具に過ぎない。という考え方。そういうことができるかっていうところが勝負かなと。

(嶋中ファシリテーター)
ありがとうございました。
今ふと思い出しましたが、先程三澤委員からもありましたし、立木さんもそうだっていうことで、ストレートに言って、よそから青森を評価されてここに定住されている方っていうのが意外に多いんですね。ところが、私自身実家も含めまして、ここに魅力を感じられなくて、若いうちは出てしまって、気が付いたら帰る家がなかったり、街もすたれてしまったり、どうしてこれに気付かなかったかなって、こういう活動に入るきっかけになっていますけども。
さて、本当に時間が少ないんで。今日のテーマであります、アーツカウンシルプロローグということで、いきなりアーツカウンシルを出していると思われているかも知れませんが、実は立木さんも2年前、といいますか、正式に組織したのが2年前でその前年度からプロローグとして相談を受けておりまして、そのときに事前にフォーラムを開催しました。立木さんと、そのときにアーツカウンシルを提言しました。
その後平成25年に鹿内市長が、青森市が、アートで音楽のあるまちづくり方針を策定されまして、そのサブタイトルに「文化芸術創造都市をめざして」だったんです。
これすばらしいたとえで、私達、方針の表紙を見てビックリしたといいますか、驚いた。
私達が提言したのはよく言われるように経済、いつまでたっても最下位の県から抜けられない、ではなくて、価値を転換して目覚めたら、こここそ日本全国の上位に位置するはずだし、それに気づいてほしいっていうことで、文化芸術創造都市を目指すことを提案したわけなんですけど、それが今アートで音楽のあるまちづくり方針にちゃんと歌われてあります。
さて今回の助成させて頂いた、みなさんのすばらしい活動について、継続されながらもご苦労されている様子がわかりますし、これを支えていくためにどういった社会システム、行政をひっくるめて、必要なのだろうか、
今日の平田さんの端々にアドバイスがあったように、これからはNPOがジャズ喫茶など、そういうコンテンツを揃えていくこと。
もうひとつはやっぱり専門家、さきほどいいもの、本物に触れるってありましたけど、専門家を配置して、行政の皆様方もいますのでちょっと言いづらいところもありますけど、
なぜアーツカウンシルを標榜するかと言いますと、実は私自身青森に帰って来たとき、行政に所属しました。
そのとき自分の中でこれではだめだなと思って、やめたっていう経緯はありますが、どうしても2~3年ごとに異動してしまう。
立ち上げのこういった新しい事業、アートで音楽のあるまちづくり、すばらしい事業を興そうと熱意に燃えて行政マンは頑張ります。2~3年で異動してしまう。又新しい熱を帯びる。
そこでこれだけの皆さんとのネットワークや信頼関係が、もう一度再構築なんです。
また一から。そうしますと、こうやって、還暦、みなさん60年活動されていますけども、まいどまいど御苦労様だと思うんですが、行政の継続性、そういったものが、すごい自分たちの活動に跳ね返ってきて、来年もまた行政の折衝であったり、また苦労を繰り返して、いつまでたっても同じことの繰り返し。ということで。
実はこのアーツカウンシルの機能として、まず一つは助成事業、これは今回実現できました。もうひとつは専門家を配置した、そういう行政を離れた第三者機関という提案がありまして、そういったことをずっと言い続けております。それで一応3年目になります。
今年度4月から助成をスタートできましたので、来年度に向けて今度はそういうシステムの方をなんとか構築していかなければ、これはこれで、実は私達委員、すべては実はボランティアです。みんなそれぞれ職業をもっていて、自分で言うのもなんですが、街をよくしたいと思っているメンバーばっかりです。
ところが、こういうボランティアに頼っていては、私達の身体ももちませんし、生活もあるわけなんで、熱意もだんだんなくなっていく、続かないものですし、その代わりといいますか、行政システムが必要になってくる。
ぜひ平田さんにまとめの部分でお聞きしたいんですが、まあ、私、2年前に最初に立木さんと二人でアーツカウンシルの調査をしました。一番最初に日本で出来た「アーツカウンシル東京」、その立ち上げに平田さんがご尽力されたということを聞いておりますので、
アーツカウンシルは青森で有効なのか、どうか?という観点で。

(平田オリザ氏)
みなさんアーツカウンシルとは何かと思われるかも知れませんが、芸術協議会と言われまして、世界で一番最初にできたのがイギリスです。これも戦後ですからそんなに歴史が長いわけではない、初代アーツカウンシルの理事長は経済学者のケインズ。ケインズは脱植民地化政策の経済学者なので、これからは大英帝国っていうのはない。小さな島国でいろんな多様な人種が一生懸命生きていかなければならない。その時に統合の象徴として、アート、特にたとえばシェイクスピアが重要だった、ロールシェイクスピカンパニー、伝統がある様に見えてできたのは実は戦後なんですね。あれは全部戦後にイギリスの再生のためにつくられた、国家の再生のプロジェクトの一つとしてつくられた。
もともとそういうものが、日本にも必要だろうということで東京都の中に作られました。これは、東京は最低でも20億円ぐらいの文化予算を持っているので、これを役人だけで勝手に使うのはちょっと不健全だろうということで、当時の資生堂の福原会長や私が中心となって作ったのがアーツカウンシル東京です。
今どうなっているかというと、評議員と、これはまあ比較的実績のある方なんですね。その下に、プログラムオフィサーとよばれる若い研究員ですね。これを20.30人ぐらい雇ってますかね。その20.30人が東京都内であらゆるアート活動を全部みて回る、報告書を評議員会へ上げて、そして助成を決定している。だいたいアーツカウンシルっていうのはそういうことです。
これを青森でできないわけではない。なぜなら実は前例があるんです。かつて東奥日報に二人若い記者が文化部にいて、そのとき二人はとても演劇が好きだったんです。ある年、とにかく青森県内でやっている演劇とよべるようなものを全部見て回る。1年やって全部記事にしたんです。東奥日報の民間企業の二人でできたんです。できないわけがない。演劇、音楽、美術、二人ぐらいずつ、六人ぐらいをまあ若い方々を雇う。そういう志のある、青森出身で東京都とかにいらっしゃる方もいると思います。そういう方々たちの声を大事にする。その人たちは全部見て回って、通年で評価する。
今まではみなさんたぶん、助成の申請って書類を出して、合格か不合格、になるわけですね。そうじゃなくて年間の活動を見てもらって、その上で、ここはもうちょっとやりましょう。
たとえば、ここすごくいい活動しているんだけど、制作がいなくて書類書くの下手なんですよという若手劇団もあるかもしれない。書類書くのを手伝ってあげるのもアーツカウンシルなんですね。
そういうことを実際東京でやっているわけですね。
政策提言も行う。何より大事なことは独立性が、教育委員会とちょっと似てて、ようするに市長さんとか議員の構成が変わっても、ある程度は独立性が担保されて、継続的に文化政策を推進できるのがアーツカウンシルの特徴。
今申し上げたとおり、青森でできないことはない。

(嶋中ファシリテーター)
ありがとうございました。大変力強いお話です。
まあ、その前に申しあげるのを忘れたんですが、実は平田さんに振ろうと思ったきっかけが、今年度ご存知の方もいらっしゃるかと思いますが、5月22日にある閣議決定がされていまして、文化芸術振興に関する基本的な方針、第4次、サブタイトルが文化芸術資源で未来を作る。これが閣議決定されています。その重点戦略1に、「日本版アーツカウンシル本格導入について必要な処置を講ずる」、具体的に明記されています。ですから、私達、それこそ地方、北端でアーツカウンシルプロローグと銘打ってますけど、これ夢物語じゃないんです。現に今年5月にもう政府が閣議決定しております。
なおかつ先ほど申し上げた通り、私達は3年前からこれを打ち出しておりまして、本当は東北で第一号を目指していたんですけど、どうなるかわかりませんが、そういった活動をしていきたい。現に国もそういった方向で動いています。という状況なんです。その辺でもうちょっと、もうちょっと突っ込んだ話、立木さん、何かありますでしょうか。

(立木副会長)
そうですね。私は、今はtecoって会社やっていますけども、その前は青森県立美術館の仕事をずっと10数年やっておりましたので、つぶさに青森県内の芸術活動、美術だけではなくて、演劇とか、音楽、音楽はちょっと弱くて、あまり詳しくないのですけども、みています。
つまり県が初めて学芸員という芸術の専門家を雇ったケースで、今は県で10人くらいいますけども、美術館をつくって、建物を作って、活動するということが目的なんですけども、本当に有効なのはやっぱり専門職の人がいて、活動していること。
青森市は国際芸術センター青森という、まさに本当に世界中から人が来て、ビジネスしているものがあるんですが、漸進的にみても青森市は、青森県立美術館、それから青森国際芸術センター、非常にそういう意味では文化的な社会資本とか、投資がなされていて、人材がたくさんいるんですね。
もう少し広く見ていくと、八戸には「はっち」というような観光施設ですけども、文化的な専門職がいるような機関があり、十和田には十和田現代美術館があって、いろいろ現代美術の活動をしています。
それと、これから弘前市で奈良美智の展覧会をやったところが現代美術館として整備されて、学芸員を採用するための方法に関わっています。
そういう意味では、青森県、特に青森市を中心とした、青森県はそういう文化的な投資も相当なされていますし、人材も相当蓄積してきていまして、この10年間で、国内的にみても、屈指のポテンシャルを持ってるし、それから色々な意味で、総理大臣をだしていませんけども、そういう芸術的な人材、国際的な評価を得た棟方志功をはじめとして様々なタレントがでてきていますね。そういう意味では、青森の最大の資源というのはなにかというのをずっと分析していたわけですけども、やっぱり芸術文化で勝負していくってことが一番ふさわしいのではないかと考えて、それを支える側としてはアーツカウンシルがいいのではないかというふうに思っています。

(嶋中ファシリテーター)
ありがとうございました。本当にいちいち納得できる非常に有意義なお話しでした。

(立木副会長)
ねぶたについて重要なことを、竹浪さんに聞くのを忘れていました。
ねぶたというものをこれも要は総合芸術で、薬剤師をやっていたのに絵師なってしまうという、薬剤師から絵師になるというルートが最近確立されているというふうに聞いていますが、そのようなプロの絵師さんがおいでになっていて、音楽があり、そういうダンス、振り付けがあって、それが年々ですね。これも戦前からある祭りですけど、今の様な形で発展、土台としたのが、竹浪さんから聞いたことなんですが、万博がきっかけになっています。
高度経済成長の中、日本が発展する中で、祭りのスターダムに今のところトップランナーをずっとはしっていって、しかもそのために、街の中が整備されちゃっているんですね。あまりにも巨大な山車が何キロにもわたって、回遊できるように、地中に電線が埋設されていて、劇場都市になっているんですね。
これをなにかその中心市街活性化みたいに、そういう意味では、街全体が劇場化してるし、演劇的ないろいろなシーンをもっている。
そういうこととアーツカウンシルってところが結びつけることができるじゃないかなと、僕は非常にこうやって考えてやろうとしていきたいですね。

(嶋中ファシリテーター)
ありがとうございます。
竹浪さん、ご意見をお願いします。専門職と言えば、これ以上の専門職はないと思うんですけど、

(竹浪委員)
突然ねぶたの話がでてきたのでビックリしたんですけど、たしかにねぶたっていうものは民俗的な行事から始まったのが、地域の近所のお祭りとして、少し大きくなって、それが今度は経済効果を生む産業といってもいいくらいに大きくなってきました。年々、進化していく祭りって私は思っているんですけど、ですからそういった小さなものを市民の手によって、力によって、ここまで大きくしたっていう実績がありますから、創造都市っていうことは、決して言い方だけではなくて、現実のものにもっていける力がこの町には私はあると思って、この会に参加しているわけなんです。
ですから前向きにどんどん前に行けたらなと思っています。

(嶋中ファシリテーター)
実は時間があと10分なので、困ってはいるんですね、市長。

(青森市長)
あの、助成を受けた団体の5人の方の話を聞きたいです。

(嶋中ファシリテーター)
すいません。それでは助成団体の方で、

(青森演劇鑑賞協会「還暦の歌」制作実行委員会)
演劇鑑賞協会の鎌田です。青森は棟方志功や寺山修司のように世界的に活躍している人たちも出ています。そんな才能ある人間が偶然ではなく、システム化って言うか出やすい環境を作ることが必要だと思います。今回助成を受けているBLUEはじめ、凄いことをやっている団体も多くいますが、これまでも自力でやってきています。
私たちの会の会長でもあった牧良介さんが「青森の街がつまらなくて出ていくんじゃなくて、つまらないなら面白い街にしていかなければ」と言っていました。牧さんは「だびよん劇場」を経営していて、そこに集う人たちも牧さんの考えに共感して、伊奈かっぺいさんや三上寛さんなどいろいろな人たちが世の中に出ていきました。劇場という場所は単なる娯楽を提供する場所ではなく、そこに集まってくる人々が交流することで、文化が創り出される場所でもあり、文化的な街を創っていく装置だと思います。そういう劇場を中心とした「文化的な街づくり」が必要だと思います。物質的なものが豊かになり便利になってきた街ですが、その反面人と人のつながりは希薄になっています。バラバラな街をまとめ上げていく求心力は街が文化的であることだと思います。そのためには、市民、行政、経済人が共同のテーブルに着き、お互いが協力し合い、アーツカウンシルのようなシステムを中心に街づくりを進めて行くことが出来ればと思います。

(平田オリザ氏)
あのー、青森が文化資源が豊富なのはもう間違いないです。全国回っています。おとといまで福島にいたのですが、福島本当にないから。草野心平さんぐらいしかいないです。本当に大変なんです。復興のシンボルみたいなのアートで探そうとしてもいない。青森なら、寺山さん、太宰治さんなんでもいるでしょ。こんなに恵まれたことはないんです。
だけどじゃあなんで瀬戸内国際芸術祭みたいになってないんですか。
香川県なんて実はなにもやってないんです、行政では。北川さんがやっているだけで、たまたま漁夫の利を得て、それでアートの聖地とか言い始めている。僕は裏も知っているからなにやっているんだ香川県って思うけれども、使い方がうまいんです。戦略的なんです。
たとえば小豆島っていうのは人口1万5000人の街なんですね、島全体で3万人くらいですけど、小豆島町だけで、この三年間、毎年100以上のIターン者、Iターンです。Uターンじゃないですよ、Uターンはもっとでしょうか、その理由のほとんどが、きっかけはアートです。アートで先ず触れて、それから関係人口をちゃんと町の戦略でつくって、定住人口を増やしている。
アーツカウンシルは政策なんで、みなさんの個別の活動ではなくって、市長さんが責任を持つ分野なんです。青森市がどうするかなんです。でもその本当の主体は市民の方々なんです。だから、どっちかっていうと、アーティスト側の問題ではなくって、アーティストが素晴らしい活動をやっているのをどうやってそれをちゃんと政策に活かしていくのか。っていうのがアーツカウンシルなんです。みなさんがだからもっといばって、なんでこんなにやっているのに青森市はおれたちのことをちゃんと活かさないのか。わたしたちは社会が必要な存在でやってやっているのに、なにやっているんだ、だらしないじゃないかっていうのが、みなさんが言うべきことです。

(嶋中ファシリテーター)
まさにおっしゃるとおり、実はあと5分でまとめないといけない時間になっちゃいまして、どうですか、周りの皆さんでもここはひとつ言っておきたい。

(青森ジュニアオーケストラ)
私たちの団体の親団体に、「青森市民交響楽団」があります。定期演奏会の他に、第九の連続演奏会を開催しております。大事にしてもらえたらありがたいです。

(演劇鑑賞協会 三野さん)
ポジティブなことを言いたいなあと思いながら、一つだけ、ネガティブなことを、つまり、心配なことを、青森のね、私も移住者の一人で、憧れてきた一人なんですが、満足している一人なんですが。
僕は仙台に8年間いたときに実感したんですけど、仙台の七夕祭りは死滅しています。
見に行く人たちはいいのかもしれないけれども、街の人達にとって、自分の祭りになってない。一歩町内を離れると自分の祭りになっていない。そこんところを解決してないと七夕は復活しないだろうなと思うんですよね。
それどうするのかというのを言いたいのではなくて、僕が一番心配しているのはねぶたです。これは世界の誇りだと僕も思います、お願いします。
五所川原のねぶたも今年そうしましたけども、衣裳を揃えてやろうとしている。これはね、山形の花笠だとかそういう踊りと違うはずなんだよね。ねぶたとかねぷたとかっていうのは、ねぷたはちょっと違うけども。
あのはねと、やってまれ、あの精神っていうの、こうした祭りっていうのはシンボルにならなくなる可能性がある。僕は五所川原のために心配しているし、似たような、問題を避け、どんどん発展してきているみたいなことをおっしゃっていたので、よそ者の俺が言ってもダメかなと思いながらも心配しているということは、ただあれにもう一回、40年代の青森市民が酒を飲んで、大暴れしたような、祭りになったら、本当に世界の祭りになるんだろうなと、私は思います。

(嶋中ファシリテーター)
はい、ありがとうございました。貴重なご意見で、こういういった意見を拾う場が必要だっていうこともひとつだと思いますし、記録させて頂きました。
本当に、平田さんからコミュニケーションに係る部分をもうちょっとお聞きしたいなと思いましたが、ちょっとお時間がきてしまいました。先程の講演の中にもありましたけども、無駄と言いますか、“社会的余剰”、これをどう私達がささえていけるか、これからの課題なのかなって思います。
企業活動や、公共的なことはさて置きましても、個人が感じる満足感、そういったところを支えて発展するようなシステム作り、今具体的に申し上げているのは青森版アーツカウンシルみたいなものをめざしていきたいって思っている次第です。
しかしながら、これも先程平田さんからご指摘あったかと思うんですけど、まさにそのとおりで、これがゴールではなくて、これは単に手段であって、私達が描いた30年後の青森に向けて、スタート地点に過ぎない。ようやくそこからスタートだ、ということで。とにもかくにも、皆さんのこういった熱意あふれるオープンな話し合いの場がこれから絶対必要だ、そこの部分は担っていきたいし、中心的に活動していきたいと思っています。
ということで、市長お願いいたします。

(青森市長)
平田さんから、アーツカウンシルは、行政の仕事である、私もそう思っています。
だからこそ、市として、アートで音楽のあるまちづくりの方針を定めて、その中で様々な取り組みをして参りました。決して、この2年3年の活動は十分だと思っていません、行政として、十分だとは思っていません。まだまだやることはたくさんあるだろうと思っています。
併せて、平田さんも仰っていましたが、青森には本当に素晴らしいものがあり、実は世界一のもの、だからこそ、ねぶたがミラノの万博に、11月にハリウッドに出られたのは、そして、そこに至ったのはやはりねぶたが造形として、あるいは、跳人や囃子の各々が高い評価をされているからだと思っています。
私としては、棟方志功についても、ただ単に棟方志功だけではなくて、そのことによって今度仲間で、棟方志功さんが暮らしていた富山県の南砺市でも棟方志功とまちづくりを考えようっていう話がでてきたりしています。
ですから、寺山修司さん、澤田教一さんもそうで、確かにその素晴らしいものがあるにも関わらず、十分活かしきっていない、私たち自身も、だからこそ、市としての取り組みと同時に、市が旗を振るだけではなくて、市民の活動も市として支えていかなければならない。
そういう点では、今日は中間報告という形で活動を報告された皆さんに共通しているのは、皆さん自身の活動と同時に子どもたちを育てている。子どもたちを支えて応援している。ということが、根底にあったのは非常に有り難いなと思いましたし、またそのことを市としてももっともっと伸ばしていかなければならない、併せてそのことをもっと多くの市民の方に知ってもらうことも、市としての仕事なのかなと思いました。
今日は、ありがとうございます。