第3回アートでオン!フォーラム シンポジウム記録(H25年度)
第3回アートでオン!フォーラム
日時:2015年3月8日(日)14:00~17:00
シンポジウム:15:50~17:00
会場:BLACK BOX 2F BLACK HALL
パネラー:湯浅 真奈美 氏(ブリティッシュ・カウンシル アーツ部長)
鹿内 博 氏(青森市長)
若井 暁 氏(マルハニチロ囃子方「海鳴」顧問)
立木 祥一郎 氏(アートでオン!委員)
大嶋 憲通 氏(アートでオン!委員)
竹浪 比呂央 氏(アートでオン!委員)
コーディネーター:嶋中 克之 氏(アートでオン!会長)
全体司会進行:張間 陽子 氏(アートでオン!委員)
(写真:左から嶋中氏、湯浅氏、鹿内氏、若井氏、立木氏、大嶋氏、竹浪氏)
≪概略≫
(張間さん)
皆様、大変お待たせいたしました。
只今より、アートでオン!フォーラム、第二部「シンポジウム」を開催いたします。
本日のパネラーとコーディネーターをご紹介いたします。
先程、ご講演いただきました、湯浅真奈美様、青森市長・鹿内博様、マルハニチロ佞武多会囃子方「海鳴」顧問・若井暁様。
また、アートでオン!委員より、本日は三名参加いただいております。立木祥一郎さん、大嶋憲通さん、竹浪比呂央さん。そして、シンポジウムのコーディネーターを務めます、アートでオン!会長の嶋中克之会長です。宜しくお願いいたします。
なお、本日のパネラー及びコーディネーターのプロフィールにつきましては、本日皆さんにお配りしております、こちらのピンクのプログラムにご紹介しております。ご覧ください。それではコーディネーターの嶋中会長、宜しくお願いいたします。
(嶋中コーディネーター)
はい、それではお願いいたします。
まだ、先程の興奮が私の中で冷めやらず、ちょっと震えております。つい、先程休憩の時間に東奥日報の記者さんと廊下で会いまして、二人で「最後に涙が出そうになったよね」とお話をしたことをご報告しておきます。
湯浅さん、大変素晴らしいお話をいただきまして、ありがとうございました。
さて、湯浅さんの講演を受けて、パネラーの皆様一人一人から、感想をお伺いしようと思います。
先ずは、鹿内市長からお願いいたします。お一人5分以内でお願いいたします。
(鹿内市長)
先ほどは、ロンドンのオリンピックのお話、大変参考になりました。2020年の東京オリンピック・パラリンピックの前後に、ロンドンを凌ぐような効果を、この日本でも、青森でも越えられるといいなあと感じました。
青森市が「アートで音楽のあるまちづくり」、「アートで」という言葉に随分いろんな議論がありましたけれども、それは本当の文化的な要素や、アートの香りがするというような、そんな意味を込めて「アートで」と。そういう形を積み重ねて今日になりました。そういう意味では、アートでオン!の皆様には感謝したいなと思います。
来年度27年度、市で議会の方に予算を提案してご審議をお願いしておりますが、新しいものとしては、市民美術展示館を中心にしながら棟方志功展を1か月間予定しております。
それから、沢田教一さんと寺山修司さんが生誕80年になりますから、それぞれの生誕80年祭を棟方志功展とは別な日に、それぞれ予定をしております。
また、去年からやっている「A-Paradise」は、八甲田丸やワラッセ・西の広場を中心にしておりましたが、来年度27年度は、更に例えば駅前公園とかパサージュ広場などへ会場を広げます。
内容的にもワークショップを開催するとか、非常に「A-Paradise」はそんな面で新しい取り組みでした。特に、先ほど湯浅さんのお話にもありましたが「A-Paradise」は若い人が中心になってやっていましたので、今年は更に若い人の輪をどんどん広げていっていただければ。「いっていただければ」と言いますのは、これは市も関わっていますが、中心は実行委員会の皆さんです。市は実行委員の皆さんの取り組みを側面から、財政的にも応援をしていきたいなと思っております。
27年度も、皆さんのいろいろな活動の中で、市としてもそういう集団といいますか、活動といいますか、それを財政的な形でも支援できればということで、新たな取り組みをしております。
アートでオン!の主役は市役所ではなくて、市民が主役ですので、そういう面では私の隣に座っています若井さんに言いましたが、「今日、目立つ格好しているな」と。
今日、この後は、若井さんや竹浪さんもいますし、周囲の皆さんの目立つ発言にも注目していきたいなと思っています。宜しくお願いいたします。
(嶋中コーディネーター)
ありがとうございました。
非常に期待の持てる事業計画もご披露いただきました。
お話の中でも言われておりました「A-Paradise」に、昨年私たちアートでオン!もアドバイスを頼まれていながら、自分達の事業とちょうど被ったため、具体的には何もできなかったのですが、しかしあれは素晴らしい成功事例だなと思っております。これからどんどん、市民の皆さんを巻き込んで、青森といったら「A-Paradise」といった大きな展開ができるように、バックアップしていきたいと思っております。
続いて、若井暁さんお願いいたします。
(若井さん)
皆さん、こんにちは。私、若井暁と申します。マルハニチ侫武多会囃子方「海鳴」という囃子方の顧問をしております。この壇上にお集まりの皆さん方が、すごく著名な方ばかりなので、私もこれくらいの格好をしないと何をやっている人間かわからないと思いまして、この様な格好をさせていただきました。
ちなみにこれは、メッセージを書いて頂いておりまして、私が海外に赴任する時に書いて頂いた、とても思い出深いものです。皆の気持ちをこれに乗せてと思ったのですが、残念ながら書いて頂いている方の半分は、当会を辞めておりまして残念な限りです・・・ここは、今、笑うところだったのですが、できれば笑っていただきたかった。と、いうことで、人の入れ替わりが早いのです。
今日、湯浅さんの講演を伺ってですね、私も歳のせいか涙腺が激しく弱っておりまして、泣きました。あのようなことを、この日本でやれるチャンスは多分、私も含めてこの会場にいらしているお集まりの皆さんにも1回しかないと思います。2回あったら最高ですけど。
でもその1回の時に、1回しかないチャンスに、私は青森市でねぶた祭りに関わっておりますから、ねぶたを是非、是非オリンピックでと考えております。調べてみましたら、オリンピックのスタジアム、千駄ヶ谷にあるスタジアムは敷地面積が11万3000㎡だそうです。言われてもピンときませんよね。それで、よく比較される東京ドームなのですが、東京ドームの敷地面積は46,755㎡だそうです。つまり東京ドームの2.4個分の広さがあるのです。2.4個分に8万人が収容されて、その中にねぶた1台持って行ったところで目立たないですよね。なので、例えば青森県全域のお祭りであるとか、もしくは東北の祭りであるとかというのに声を掛けてですね、皆で出ようと言うのはどうかなと。それを1つ考えています。
今日のお話の中でいっぱい感動したキーワードがあったのですが、皆さんもご覧になってわかったと思うのですが、オリンピックに参加できる人間というのは限られています。しかし、オリンピックを支える人間というのは、私達でもできるわけですよね。
今日の湯浅さんのVTRを見させていただいて、皆さんが凄く楽しそうだった。あれを、皆さんと享受出来たらなと思っています。それを笑顔にさせることがアート1つでもあるし、誰かがチャンスを与えてくれていると思うのです。チャンスを逃さないように、いい言葉がありましたよね、「文化はロケット燃料」だと。まさしく、そうだと思います。
お祭りだって文化です。これもロケット燃料です。それを何とか皆さんと、知恵を絞りながらやっていきたいなと思います。私が今日、ここに来て皆さんの前でお話させていただける機会をいただきましたので、目的は1つだけです。オリンピック・パラリンピックの閉会式に、ねぶた祭りを持っていくことです。これしかありません。(拍手1人)
ありがとうございます。もう1人くらい拍手してもらえないかな。(拍手)
ありがとうございます。と、言うと、あの若者何を言っているかと思うでしょう。
でも、皆思っているはずですよ。やりたいでしょ。やりたいでしょ。やりたいからには皆で協力しましょうよ。へんに引っ張り合ったりしないで。絶対できますから。以上です。
(嶋中コーディネーター)
ありがとうございました。さすが、若井さんを口説いてといいますか、無理やり引っ張りだした甲斐があったなと、第一声で感じました。これから、追々ご意見をいただきたいと思います。
それでは立木さん、お願いいたします。
(立木さん)
立木です、宜しくお願いいたします。
隣の若井さんを見たら、袢纏に大きく「愛しています」と書いてあります。
今、閉会式とおっしゃいましたが、開会式でもいいじゃないですかね。
大阪万博の時に、ねぶたがお祭り広場でデビューして、それで一気に日本中で有名になったというお話を、前に竹浪さんからお伺いしました。そして祭りも大きくなっていった訳ですが。
そして、世界の舞台でも、やっぱりねぶたは決め手なのです。今度も、当然オリンピックでねぶたを世界に有名にするということを普通にやらなければ。これをやらなければ、他に何があるのか。ないんじゃないかな、こんなすごい物はと思いました。
すごくリアルな夢で、是非そういう形で実現もするし、それを観た世界中のお客さんが、青森に流れて来るという、そういう流れが出来たのかなという感じで、凄く勝手に妄想しています。
それと、湯浅さんから最後にお話をいただいた「ハル」という街ですが、「ハル」からイギリスを変えるのだという意気込みというか、青森から日本を変えるのだと置き換えることが出来ると感じました。
鹿内市長から、簡単に棟方志功とか、寺山修司とか、沢田教一など普通に出てきますが、これは青森の出身、縁の芸術家なわけですよね。こんなに豊かな人、凄い人ばかりがどかどかでてきている所って日本をみても無いと思うんですね。これは本当に文化で青森を世界中に知らしめる絶好の機会だと、湯浅さんのプレゼンテーションを見ていて思った次第です。ありがとうございます。
(嶋中コーディネーター)
ありがとうございました。
続いては大嶋さんお願いいたします。
(大嶋さん)
皆さんこんにちは、大嶋と申します。
株式会社リンクステーションの代表をやっています。
今回、アートでオン!の委員に選ばれまして、おそらくIT会社をやっておりますので情報発信ですとか、クリエイティブなところで力になればいいのかなと、そういう所で呼ばれたのかと思います。
私が出来ることは、そうたいしたことは無いですけれども、先ほど湯浅さんの基調講演を拝見いたしまして、1枚1枚の画像、あれ1つ1つが全て感動・喜び・楽しさ、全てが1枚1枚でITをやっている私にも伝わってきました。映像で見る限りでも、あのくらい伝わってくるということは、おそらく現地に行ったら相当皆さんは幸せなんだろうなと。幸せに満ち溢れた生活・仕事しているんだろうなと感じました。
私はIT会社を経営しておりまして、東京ではIT会社というものはどちらかっていうと、閉鎖的な環境の中で心の病を持った人たちがいっぱいいます。鬱という症状がいっぱいあります。まだ青森には無いのですけれども。そういう人達がさっきの映像を見ると、相当喜ぶと思います。むしろあのような所へ行って仕事をしたいなと感じると思います。青森にもそのような魅力のあるものが沢山あると思うんです。豊かな自然がありますし、食も美味しいですし、そういうものを県民が話し合いの場を作ったり協議会を作ったりしてどんどん発信し、日本・世界に広めていくといった事をしなければならないと思います。そうする事によって人々が集まって活性化につながるようになると思います。我々アートでオン!も委員会を通してサポートし、どんどん発信していきたいと思います。
(嶋中さん)
ありがとうございました。大嶋さんからは後段ふろうかと思っていたのですが、IT企業、業を興す方ですけれども、そちらの方に関わる貴重なご意見いただきました。それでは最後に竹浪さんですけれども、竹浪さん残念ながらお仕事お忙しくて、つい先ほど到着されまして、湯浅さんの基調講演聴いてないんですよ。その辺を認識してご意見をお願いします。そうしますと。ごめんなさい。遅れた理由の1つには明後日ですか、ロサンゼルスに旅立たれるということで、佞武多の前回、前々回紹介した遠征に関わる部分を担われていまして、その辺についてどういうことをされるのかご紹介いただければと思います。お願いいたします。
(竹浪さん)
皆さんこんにちは。竹浪比呂央です。本当に残念なことに、湯浅さんのお話をお伺いすることが出来ずに、先ほど15時15分に到着しました。控室の方に参りましたら、皆さん凄いお話だったと、嶋中会長も興奮冷めやらずというような感じだったので、すごいお話だったんだろうなと、伺うことが出来ず残念だったなと思っております。なんとか皆さんとのフォーラムには間に合うことが出来ました。今から参加させていただきますので、宜しくお願いいたします。
今、会長の方からお話がありましたけれども、3月10日にロサンゼルスへ行って佞武多の仕事をして参ります。3月21日の夜に青森に帰ってくる予定でございます。実は平成19年(2007年)に青森佞武多の海外公演、アメリカ本土、ロサンゼルスで行いました。これは今までの青森佞武多の海外公演と同じような感覚で佞武多をお披露目したということなのですが。その後、その佞武多で興奮したロス市内の特に青森県人会、ロサンゼルスに青森県人会があるんです。会長さんが平内出身の寿司屋の大将で、参加された人60代や70代の人もいましたかね、おばあちゃん・おじいちゃんが皆英語をしゃべっているのですが、集まった時に「わぁいしばらぐだのー」と、ロスで津軽弁を聞くとは思わなかったです。その人たちが「これ昔見た佞武多だ、これー」ということで、囃子の会を作って練習を始めて、佞武多囃子保存会というものがあるんです。毎年、佞武多のパレードに参加されている。パレードというのは日系二世の方々が日本を懐かしんで盆踊りの流し踊りをやろうということで始まったもので、今年で75年になるんだそうです。戦前からやっていて、流し踊りをやるパレードに青森県人会として佞武多を出そうということで、我々が作った佞武多は解体してしまったのですけども、金魚佞武多とか、手持ちの扇燈籠とか、あるいは向こうの人たちが小さな佞武多を作って、それぞれロス佞武多としてずっと毎年続いているということです。であれば単に佞武多をお披露目ってことではなしに、その人達に応援したいという気持ちもありまして、交流もずっとしておりましたので、向こうへいきまして、佞武多に興味のある方、美術系の方々と一緒に紙を貼ったり、針金を曲げたりと制作指導で行ってこようということになっております。実際行ってどんな状況でどんなことが出来るのか行ってみないとわからないですし、とにかく8月16日が本番ということで2世ウィークお盆の時の祭りですので、前のりすると、青森佞武多を投げていかなければならなくなるので本番が始まる、忙しくなる前の今に行って、そして皆さんと一緒に制作指導をして佞武多を作って来たいと思っております。以上です。
(嶋中さん)
ありがとうございました。是非、頑張ってきてください。青森県人会の皆様にもよろしくお伝えください。それでですね。私たちアートでオン!はホームページを構築しておりますが、そこに竹浪さんの出張遠征の記録を、普通は終わったデータを記録するだけなんですが、それだと駄目だということで、ほぼリアルタイムに「今こんなことをやっている」「今こういう状況」「苦しんでいる」というデータを送ってもらって、それを随時ホームページに掲載する予定です。是非、アートでオン!ホームページを確認してみてください。
それでは、ここで湯浅さんの方から、先ほど事例発表をしていただきましたが、「カルチュラル・オリンピック」を知る立場として、青森に対して印象を交えながら、急にふったので驚かれていると思いますが、こういったことが参考になるのではないかみたいな。という逆にちょっとご提案をいただいて、それを受けまして皆さんで先ほどみた基調講演から青森で展開の可能性をもうちょっと討議していきたいと思います。
(湯浅さん)
突然の質問で。私の個人的な話になりますが、身内が何人も住んでいますのでその何度も来ている中で、やっぱり外からしか見られてないんですね。なので、私の方から2020年青森はこういうことではないかとはなかなか言えるものではないと思っていまして。1つは2020から先というのは、これから5年後から10年後はすごく社会が変わっていく時だと思うんです。日本全体でみても人口構成が変わっていきますし。いろんなことが変わっていく中で、日本の人々とくに青森市の人達がどう幸せに暮らしていけるのかというビジョンを作っていく作業が2020に向かっていく作業なのかなと思っていまして、こうしたらいいというよりは、逆に皆さんここにいらっしゃる方々が2020に向けてどうありたいのか。とか、今課題がこういう所にあってこうこうこう変えていきたいんだ。それはどういうことなのかなとそこがすごく関心があります。個人的には母が大畑に住んでいるということもありまして、電車もいかないのでアクセスが悪いんですね。街が商業的にも経済的にも厳しいという話も聞きました。そういった街が文化で元気になっていったりですとか繋がりを作るのかなと個人的に関心がありまして、この2020というものが単純にイベントとか物の蓄積ではなくて、何か地域に残っていけばいいんじゃないかなと感じているというのが個人的にはすごくあります。
(嶋中さん)
ありがとうございます。大変貴重なご指摘をいただきました。そのビジョンづくり、つまり先ほどレガシー(ここでは「後に残される文化的財産」という程の意味合い)という言葉が再三出てきましたけれども、2020年を1つの目標として計画を立てようとご説明しました。計画点であって目標ではないんですね。それをいかに残して継続的に発展していくようなシステムを作るか、そこが私どもサイドの役目だと思っております。そのビジョンづくりについては、只今ご意見ございましたとおり、市民1人1人の声をもっと反映する機会をもったものにしていきたいと思っております。こういったことをふまえまして、鹿内市長からご意見ございませんでしょうか。
(鹿内市長)
ビジョンの話をすれば、司会者のいうとおりではないでしょうか。先ほど若井さんから東京オリンピックに佞武多がという話がありました。私は、これは極めて現実的で可能性が高いなと思っております。と言いますのは、東北六魂祭というのを東北6市で県庁所在地の6市ですが、青森市で佞武多、秋田市で竿灯をやっています。今年、来年度になりますが、秋田で28年度は青森市で開催します。最初は3年続けて、最初は24年で仙台、次は盛岡、次は福島でした。まず3年続けるかなという話が東北を1周しようということで青森まで、じゃあ青森で終わるのかなと思っていたら、こないだ秋田で総会があった際に私の方から各市長に会議が始まる前に雑談をして、青森で終わっちゃ、そしたら仙台の副市長が仙台でリベンジしたいと。リベンジをしたいとなぜかといいますと、最初仙台で六魂祭やった時にあまりの人で佞武多と竿灯が夜できなかったのです。仙台の市長は佞武多と竿灯を仙台の夜やるっていうのが、なんとかやりたいという思いがあって、そういうことでリベンジという話をしました。まずそうしたら盛岡の市長が、じゃあそのあとうち方でということになって、ということで2周目に入っちゃうんです。そうすると、2020年にはまた山形が多分ひと回りやることになるだろうと思うのです。なぜかというと、一昨年東京国体がありました。東京国体の開会式のイベントに東北六魂祭が全て出ています。それはなぜかというと、東京国体のイベントを仕切ったというか広告会社が東北六魂祭の広告会社でもあります。そういうこともあって、私は、非常に可能性はさっき若井さんも青森の佞武多がないと寂しいからもうすでに竿灯もそういう連携がとれておりますので可能です。
もう1つは、今年の7月にミラノ万博に佞武多に行くことが決定しています。これは国から要請があって、どこが要請されたかというと、東北六魂祭の祭りが基本として国から要請されております。すでに佞武多については作らないといけないので、名人の北村隆さんが制作に入っております。これも東北六魂祭の実績が国から認められてミラノ万博に出るのですから、ミラノ万博に行く祭りが東京オリンピック・パラリンピックに出られないわけがないというか、声がかからないわけがない。それまでの実績が私はあると。
もう1つあります。それは今年から東北六魂祭に東京23区が応援することになりました。財政的に2,300万わかりやすい話ですが、プラス東京23区が東北をいろんな形で応援する。六魂祭も含めてですが。青森市も秋田市も含めていろんな形で23区が応援する。それはなぜかというと、東北人口減少等に23区も応援する。1つわかりやすいのが六魂祭です。東京23区が全面的に六魂祭を応援するということは、東京23区でやる東京オリンピックですからそこに不可能なことはないとは言い切れないのですが、ただそれは私ども、23区なり東北なりの交流を重ねていくことにより、人と街の交流を重ねていけば、おのずと東京オリンピック・パラリンピックに青森の佞武多だけではなくて東北の祭りだとか青森県の祭りなどが出られるんだと。是非、それが出来るようにしたいと。若井さん宜しくお願いいたします。
(嶋中さん)
ありがとうございました。若井さん、非常にわかりやすい繋がりを市長が作ってくれましたので、いかがですか。
(若井さん)
鹿内市長の話はできれば5時の最後に聞きたかった素晴らしいお話でしたね。今の話があるとこのあと、僕ですねメモして鹿内市長にどうやってハッパかけようと思っていたんですが、用意したメモの1文も読むチャンスがないまま、言ってほしいことを言っていただいたので、これで僕もう帰ってもいいくらいです。そこまで考えていていただいてあれなんですけど。どうしよう。何を言おうかな。
(嶋中さん)
それでは、振らさせていただきますが。若井さんを今回お招きした1つに、新しい観点でいろいろ活動をされております。その中で、青森ワッツ。これは青森にとっても重要なキーワードになっていまして将来どうなるのだろうか、その辺を立ち上げからご苦労されていると思うのですが
(若井さん)
青森ワッツの話はですね。やめておきます。ね、大嶋さんね。すみません。今日はやめておきましょう。ちょっと話をかえて。さっき指摘されたね。竹浪さんあのハンガリー建国のいったじゃないですか。あれ1100年ですか。1200年と書いてしまったのですが。
(竹浪さん)
1100年。
(若井さん)
そうですか。私のプロフィールに間違いがございまして、建国1200年と書いてありますが、大変失礼いたしました、1100年これ確かですよね。失礼いたしました。1100年の間違いでございました。100年サバをよんでいました。申し訳ありません。
あと、アートっていう部分でお話をさせていただきたいと思います。私、アート・文化ってなかなか理解していただけないものだと思っております。素晴らしい制作者の方とか、素晴らしいミュージシャンの方がいるのですが、なかなか日の目が当たらない。それに大事なものの1つが応援してあげるってことなのですけど、1つがお金っていうパフォーマンスだと思います。でも、その前に重要な応援するツールがあって、それは「よかったよ」皆さんで「よかったね」って言ってあげることだと思うんですよ。これあんまり効果がないように思われがちですが、当地では凄く効果があります。なぜか、皆さんがよく青森は狭いねっていいますが、それは違います。青森はコミュニティーが豊かなんです。コミュニティーが凄く豊かだからいろんな人とお会いします。今日、この会場にお集まりの皆さんの中で、残念ながら私が知っている人ばかりなんですよ。ほとんど知っています。それくらいコミュニティーが豊かなんです。だから、今日この講演を聴いて頂いて湯浅さんの基調講演を聴いて頂いて感動したよって家で言う、明日職場で言うだけで、ちょっとずつ変化が起こります。それはなかなか目に見えにくいものですけど、でも文化の事も皆さん良かったよと言っていただきたいと思っています。
さっきのピカデリーサーカスのピカデリーサーカスサーカスというのがありましたけど、あれを例えば、例えばですよ、BLUE TOKYOというのがあるんですよ、青森の新体操がありますよね。やったら素敵だと思いません。すごい素敵だと思うんですよ。路上パフォーマンスをしたら。それも皆が「よかったね」「あれはいいものだね」言ってあげることが必要だと思っています。ちょっとワッツの話を蹴ってごめんなさい。
(嶋中さん)
ありがとうございました。本当に素晴らしいですね。今、FACEBOOKが流行っていますが、その中で「いいね」ってありますけども、あれも元気づけてくれます。たしかにひと声かけるべきだと思います。相当な力がいるかと思います。それでは立木さんの方から、実は立木さん今日お帰りになったんです。浜松で全国規模のNPOフォーラムが開催されておりまして、そこで創造都市に関するなにかフォーラムをされてきていると伺っていますがご披露いただけますか。
(立木さん)
昨日、浜松で全国NPOアートフォーラムという全国から各関係者が集まってセッションがありまして、このアートでオン!のシンポジウム1回目に基調講演いただいたニッセイ基礎研究所の吉本さんと一緒にシンポジウムパネラーでお話させていただいて、今朝青森に戻ってきたんですけども。浜松においても向こうでもオリンピックの話題が沸騰という感じでちょっとびっくりしたんですけども。浜松は静岡県ですので、静岡県で県をあげてオリンピックに対して文化的振興策をやりたいという、かなり強い意志を持っていて、そういうことも話題の中心だったのですね。浜松は徳川家康が出たところですし、ヤマハとかスズキ自動車トヨタもホンダも実はそこからでているんですね。物づくり発祥の地イノベーションをする場所なので、ユネスコの創造都市に指定されております。そういうように積極的にオリンピックを連動して自分たちの街の再生につなげようと、浜松は大きな町なんですが、やはり中心市街地の衰退が進んでおりまして、それを復興の起爆剤にしたいというような考え方を市も県も持っている状況でした。そんなことになります。
(嶋中さん)
ありがとうございました。青森市の方針であるサブタイトルに「芸術文化創造都市を目指して」ということがありまして、1年半前に私たちが創造都市を夢見るということでスタートしたんですが。今伺ったように浜松市でも都市のアクションプランとして創造都市を検討しているというのがあります。私たちスタートが早いといっているばかりでなくて、着実にこれを積み上げて進んでいかなければいけないなと思ったしだいです。
大嶋さんの方から、昨年大きなイベントを会社として開催されまして、ボランティアチームと言いますか、ここにいる若井さんなんですが非常に勝手連として応援してもらって大変助かったと、それが1つの成功に繋がったと聞いております。その辺の内容と逆に見えてきたことといいますか、そういった観点でお話いただければと思いますが。
(大嶋さん)
昨年の9月27日28日で新中央埠頭という、アスパムの少し東よりある場所で音楽イベントを開催しました。SHOCK ON(青森食音)という名前です。なぜこういうイベントをやったかと言いますと、人々、人は音と食で元気になるとういうのが私の中にありまして、青森は食が凄く美味いという事をどうにかして、日本の人達に発信して食べてもらいたいとういうことをしたかった。本来は音という部分に関しては、青森県のアーティストにお願いしたかったのですけども、今回はメジャーな人たちを呼んでやりました。メジャーな音楽アーティストの力を使って、青森の食を発信しようということで名前がSHOCK ON(青森食音)になりました。これをやって気が付いたことは、まず、1年位前から計画をしていましたが、とても時間が足りなかった事です。
実はアーティストの力を使って食を発信する目的の他に、もっと変わった事もしたかったんです。全国にあるような単純なフェスではなくて、その中でいろんな催しが行われている、たとえば、ジョギングをしながら生の音楽を聴かせる、ジョギングする人達はスマホなど聞きながら走っている人が沢山います。特に青森は自然がいっぱいありますので、その中で走っている方が沢山います。あの新中央埠頭は一周1kmぐらいあるらしいんですけれども、その中で生の音を聞きながらぐるぐると何周も周らせる。生の音楽を聞きながらジョギングできるなんて最高じゃないですかって、思っていたんですね。
もうひとつ考えていたのは、フェスはいろんな場所から人がきます。県外からのお客様もいっぱい来ます。その人達と青森県の人達で交流を深めさせたかったんです、例えば婚活みたいなことでの交流ですね。話ベタな人たちが音楽を聴きながら、音楽をネタにして会話を弾ませれば良い方向にいくのかなと。そういう変わった事をしたかったんですが、アーティストサイドに交渉したんですけども、我々の思いや趣旨が伝わらなかったのか、目的が明確じゃなかったのか、フェスはそういうものじゃないということで残念ながら実現できませんでした。もっと時間があれば根気強く話ができましたし、別のアイディアもうまれてたのかとも思いました。
でも、そういうことをやることによって街が元気になるんじゃないかなって思ってます。こういうことを発信していくことによって、青森ってすごい楽しくて、いいところだねと思えるようなところになると思います。現にSHOCK ONに来たアーティストさん達はSNSとかを使って、青森のホタテとか食べたものをメチャ美味しいと発信しているんです。それに対してファンは共感してくれているんです。そんなにおいしいんですかって! 少なくともファンの間では、あの2日間のなかでそういう騒ぎは起きているんですね。SNSで情報を聞きつけたファンが、じゃあ、ちょっと青森行ってみようかとなれば最高です。でも問題になるのは、青森行くためのきっかけ作りはこれでいいんですが、青森に来ても何もないと思われるのが一番ダメなんですよ。青森に来た時に、色んな場所で色んな催しものが行われていたり、何か楽しみやワクワク感を感じさせるものあればいいんです。それは音楽でもいいですし、いろんな場所にアートがテンテンとあったりして、アート巡りするだけでも楽しいはずです。そういったものを普段から、専門家や技術者、クリエーターなどが集まって、自然にアイディアが生まれ、実現されるような仕組み作りをしていかないと、ただ単純に発信するだけじゃだめなんですね。
まずは、ねぶたっていう300万人もの人が訪れる巨大コンテンツがあります。ただ見せるだけではなく、ITなどを使い色んな工夫をして、またリピートしてくれるように見せる。そして、ねぶたに来てくれた人達に、青森はもっとお面白いコンテンツがあるんだよっていうのを、関係者が一緒になってどんどん創り上げて発信していく、そしてそういうのができる仕組みを作っていくっていうのが一番大事かなって思います。
(嶋中さん)
大変貴重なご指摘です。
ひとつ今、一番初めに発言された食についての部分なんですが、ちょっと思い出して、昨年のフォーラムで加藤種男さんから最後のコメントのところで、ちょっと読み上げますが、「材料はすごいのにもうちょっと工夫がいるのは食文化である。」というご指摘されていました。
まさに大嶋さんが考えられていた所だと思いますが、まあそれを実践されたということで、これを行政始め、業者、及び中間支援の私たちをひっくるめて、青森の食文化をもうちょっと、価値を深めて、発信し、先ほど大嶋社長がおっしゃっていた通り、来られて、ただそれを食べるのではなく、そこからなにか文化的な広がりをイメージできる場であったり、そういったシステム構築が必要だろうなと思っていました。これも一つ課題だと思います。
そうしますと、次に竹浪さん、先ほどの話の続きなんですけども、以前から、竹浪さん、単にねぶたを持って行ってそこで発表するんではない。ということを凄く強調されていまして、その辺、ご自身の言葉でちょっとご説明していただきたいと思います。
(竹浪さん)
ねぶたの外に出ていくことに関することの話だと思うんですが、東京オリンピックのお話でました。前回のフォーラムの時、私、ねぶたをやりましょうよという話をさせていただきました。ですから最終的に青森ねぶたを見たいという方が、青森に実際に足を運んでみたいというふうな演出でもってねぶたを外に持っていくことは、私は大賛成です。でも、ねぶたもっていったら人はくるんじゃないのかなぐらいの感じで、言葉はちょっと乱暴ですけど、ねぶたあんま安売りをして欲しくない。ですからミラノ万博だとか、東京オリンピックだとか、あるいはなにかその確実な日本文化のひとつとして、文化発信をしていく上に、ねぶたというのは絶対欠かせない、これを見た方が、青森に足を運んでくれるというようなことがあればあれですけど、なにか同じ場所に毎年持っていくというふうになると、なにも青森まで行かなくてもここでねぶた見られるんじゃないか、という風になってしまって、バーゲンで安売りするような感じでのねぶたを外へ持っていくことは、私は反対であります。ただそこはしっかりとある程度ルールを作って吟味して、そしてさすが青森のねぶただっていうこと。
それから制作人口が確実に今増えているんです。みなさんこれ意外と知らないかもしれないので、私いつもこういうときにお話しするんですけど、全国、今ねぶたねぷたというような明りの灯篭的な祭りをやっている所は、70カ所くらいある。青森のねぶたに関していくと、祭りとしてではない、使われかたが沢山ある。
1つは大学の教材、京都造形芸術大学の学生が毎年、白いねぶたを作る。灯りを入れた白いねぶた。墨も色もありません。真っ白な紙と灯りの造形です。まさに、このグーの白バージョンという様な物を作って、講師のお手伝いの様な事で、毎年9月行って拝見しますけど、まあ、すごいですね。これを青森にもって来たら、「すごいことになるだろうな」という様な作品が、すごく出てきます。それから、紙や提灯、行燈、灯篭といった、いわゆる灯りの日本文化に関する職人さんも、ねぶたを注目してくれていますし、それからフレームアート、ワイヤーアートと言うんでしょうか?現代アートの作家さんが、
針金を使って作品を造る作家さんが、「出来たねぶたに興味がない、針金をみたい。」という方がまたいます。実際、私の所に来た作家さんがいます。5月です。「紙を貼り終わっちゃたんですか?残念だなぁ。」って言うんです。何でかなぁと思ったら、針金を見たい。ワイヤーアートそういう事で来る方がいます。
それから、民俗学的に昔から言われていますけど、由来はなんだ。ねぶたとはどっから来たもんだ。そういった事を研究している方もいらっしゃるし、それからもう1つ最近のブームとして、妖怪とか武者絵とか何か浮世絵のそういう妖怪物のとかの本が随分出ています。こういうのを研究している浮世絵研究家とか、美術評論家というのは、我々が造るねぶたの題材を注目しているんですね。竹浪は今回何を造ってくるの。三国志なのか水滸伝なのか。そうすると、これはあの絵をヒントにしたんじゃないか。
この絵からなにかモチーフを発想したんではないかということで、ねぶたの題材を研究している方もいます。そうすると、今お話しした人たちは、8月2~7のまつり以外のところでねぶたを注目してくれている方ですから、このひとたちが1年間青森に来ても、ねぶたを研究することができるようになればいいんです。そのために、前は残念ながらなかったんですが、今ワラッセあるじゃないですか。そうすると、8月2~7以外に青森にねぶたの切り口で人を呼ぶというその方向、そのためにねぶたをもっていきました、でも今夜一晩かぎりですよ、こんなのが22台でますよ。まずみたかったらぜひ来年の夏青森に、ねぶたそのものをいろんな角度から研究したいんだったらいつでもどうぞ、ワラッセありますよ。こういうことで青森に人を呼ぶというふうな方向で、ねぶたを活用するっていうのがいいのかなという風に私は考えています。
それでもうひとつ、時間大丈夫ですか、去年ねぶたのかけらという小さなフロアライトを作って試験的に出してみたんです。そして、いろんなところからいろんなお話を聞くんですけども、こんな小さな灯篭ですから、そういう専門に灯篭作っている方だとか、照明デザイナーさんとか、一流の世界的有名な方なんていっぱいいるんです。地方のただ好きでねぶたを作っているような人間が灯篭をつくったのに、どんな反応なのかなと思ったら、いやいや意外と、飛ぶように売れているわけではないんですけど、反応が良くて、みなさんこうおっしゃるんですね。「あの大きな青森のねぶたを作る方が発想したんですね。」なんですよ。私の作品がというよりも、やっぱりあの青森の大きなねぶたはという風に前につくということは、県外の人は青森市民、青森県民以上にあのねぶたをかなり高いレベルで評価してくださっている。ということなんです。それを意外と地元の人が理解していないところがあるんじゃないかなと気がしますんで、ねぶたというのはすごいものなんだ。私らはそのねぶたのある青森に住んでいるんだということを誇りに思って、どんどん前向きに発信したほうがいいのかというふうに思います。
(嶋中さん)
ありがとうございます。
遅れて来て一番熱く語っていただきました(笑)。さすが、現場の方っていいますか、竹浪さん、私ども内部ではねぶた師ではなくて、もうクリエーターと呼んでいまして、アーティストの一人で、さすがその切り口はちょっと斬新だなぁと思っていました。
一つは竹浪さんご指摘の、前段のところで、今日はお話ししようかどうかと思って、資料だけお持ちしたんですが、文化経済学会というのが存在していまして、その学会集を実は私、定期購読しています。そのなかに、まさに今おっしゃっていること、京都大学名誉教授の山田浩之先生が、基調講演の中で、「祭りの意義として、コミュニティーのアイデンティ維持や伝統の継承といった文化的意義、及びそれに関わる、まあまさにねぶたもそうですね、産業振興及びブラントといった経済意義はありますが、また課題として、ヒト・モノ・カネの確保や伝統の継承にとどまらない文化の創造も必要なのだ。」と締めくくられています。
まさに文化的な、ねぶたをこのまま、単に継承していったのであれば、必ずどこかの地点で他所も、みんなワイワイ、さっきおっしゃったように何十か所も現在あるわけですから、薄れていくはずです。それをどうやって新しいねぶたを文化的に創造していくのか、それが発祥の地、この青森の使命なのではないのかなと思っていまして、竹浪さんの今の熱き語りに非常に期待するところです。
それでは以上のことを踏まえまして、青森市長いかがでしょうか。何かコメントだとかアイディアだとか、なにかご意見ございましたら、お願いいたします。
(青森市長)
竹浪さんの話や、市長になる前にはねぶたは外に持って行きたくない。まつりはというのはその土地にあるもので、というふうに、意固地な。
市長になってびっくりしたのはそれほど、竹浪さんがいったように、県外で40以上の祭りが、
それでワラッセ出来た年に、ねぶたサミットをやらせていただいたのですが、
福島に行ったときに、福島のねぶたをやっていたときに、涙流して喜んでくれたんですね。はげまされたというか、われわれはねぶた楽しむことはありますけれども、そのねぶたに励まされましたよ、ありがとうっていってくれる。おおくのかたに、福島だけじゃなくて、盛岡もそうでしたし、去年の山形もそうでした、元気をいただいて有難うって言われました。
それから東京世田谷の桜新町商店街、昭和通りの商店街と新町の半分くらいのそれくらいの商店街なんですが、今年で10回目11回目になりますか、そういう商店街で毎年やっていますけど、青森からは安田の子供ねぶたがいって、そしてその地域にある昭和女子大学の学生さんがやっぱりのねぶたをそれは非常に妖怪ではないですが、非常にマンガチックなですね、そういうねぶたをさきほどの京都造形大学と同じように、真っ白じゃなくて、きちんと色をつけて、そういうねぶたを自分たちがつくって、なおかつ、ほとんど交通規制とか警察の規制が青森みたいに厳しくないので、商店街の中を子供も大人も観客も私も含めてですが、ごちゃまぜになって騒いであって、
そうすると、そこに「あっ、市長さん」って私むつから来ましたよとか。むつから千葉に来ているんだけどもとか、あるいは県内青森市のどこからか横浜に来ている。
そして、ここにくると青森に会えるという、ねぶたにみんなが、毎年ねぶたやりますから、そうするとここにくると青森に会えるというか、ねぶたを通じて青森に触れられる。そういうもの、市長になって経験して、決してねぶたの安売りはしません。
ただ、そのねぶたのもっている、単なるその祭りだとか、そういうことだけではない、その心というか、揺さぶるものが実はもう一つの、ねぶたの持っている魅力、青森の人は気がつかないことです、よそにいて、私はこんなに多くの人が、ねぶたに対して、でそういう人たちはまた青森にきてくれています。ですからある意味そういうものを、ぜひ増やしたいなというか。決して、安売りはしないし、付け加えるのは、だから青森に来てくださいと。青森はこれよりも大きい奴が22台、子供ねぶたも全部あつめて30台も40台もでますよ。
だから青森にぜひ来てください。というお話をしています。
それからもうひとつは、青森のキッズコンサートをしていますけれども、あるいは子供たちの青森の吹奏楽、非常に高いです、そしてちかく新町には、渡辺源四郎商店、演劇ですね演劇集団。
青森の町は実は本当に演劇の街でもあります。いろんなグループが、高校生が、演劇をやるような形で、社会人もそうですが、グループやっています。そういうのを私はやっぱり演劇であったり音楽であったり、というものも。
去年秋まつりというものをやりまして、その際に青函音楽祭というのをやって、ひとつはカラオケ大会、もうひとつは函館の方から函館高校の吹奏楽、こちらの方から山田中高等学校の吹奏楽部ということで青函のコラボレーションのほうをやった、去年の秋まつり、初めてやりました。
ですからねぶたも非常にありますし、音楽であったり、様々な青森の芸術、そういう要素っていうのが沢山ある。
(嶋中さん)
ありがとうございました。大変楽しみな限りです。
それでは湯浅さん、これまでのご意見を踏まえまして、何かあればお話ししていただきたいのですが、
(湯浅さん)
ねぶたのお話をこんなにいろんな方々の視点から伺えて、非常に勉強になりました。お話うかがっているとねぶたというものが、観光の重要な資源でもあり、青森のみなさんにとって、非常に豊かなものなんだと再認識をしました。
今の市長の方から、演劇とか音楽など、文化についてこれだけ、熱心にお話しがあるというのが、すごく素晴らしいなと思って、聞いておりました。文化創造都市、文化芸術創造都市、青森というのを目指されて動いていらっしゃるということですので、他の街にない資産がいっぱいある市なんだというふうに、お話聞いてもすごく思いました。青森型のもの、さきほど立木さんから青森から日本を変えていくみたいな。大きなビジョンもあったと思うんですけど、すごく楽しみだなというのが感想になります。
(嶋中さん)
ありがとうございます。
最初の段階で三沢委員の方からご説明したとおり、私たちが目指すべきプロセスがここに記されておりますけれども、これを目指して私たちがまた着実にゴールまで進めていこうと思いますが、なにしろロンドンみたいに、たいへん感動しましたけれども、市民参加これがまずキーなんだな、ということで今日は改めて思いましたし、みなさんこういった日曜日にかかわらず、年度末のお忙しい中、こうやって、青森を変えようと、そういう文化的なことをテーマにして、駆けつけていただける。このパワーをどこかで結集して、なおかつ多様性を失わないようなシステムを構築していきたいものだなと思っています。
実は本会場5時までですので、そろそろとなりますので、ちょっとむずむずしておりまして。この辺でちょっとまとめっていうことなんですけど、正直いってまとめきれないのですが。
ひとつ、せっかく湯浅さんがお越しで先ほどの素晴らしいお話の中で、ブリティッシュカウンシルは関係性を作るということがテーマなんだということで、実は先ほど、基調講演終わって、控室で、ちょっと私、勝手に申し上げたことがありまして、ハル市と青森とほぼ似たり寄ったりな感じにイメージを受けたんですが、ハル市と是非青森市が連携をとってですね、文化的な人材交流かなにかできたらいいなと思いまして、実は言っちゃいました、こういったことを民間レベルでみなさん動きを作って、文化行政に役立つ人材育成というふうなことにつなげていければいいなと思った次第です。
なんといっても、私たちのこの青森なんですが、先ほど市長がおっしゃっていたとおり、アートで音楽があふれるまちだと、自分自身が思えたらどんなに素晴らしいかなと思って、先ほどの基調講演で本当にそこのところで涙が出そうになりました。若井さん、私は泣きませんでしたので。なんか若井さんは涙を流したということで、僕はこらえましたけれど、
といったことで、もうひとつ、今日は時間がありましたら
(立木さん)
若井さんが、なんかしゃべりたいらしいです。
(嶋中さん)
そうですか、ちょっとお待ちくださいね。
大嶋社長申し上げた中で、ITに関わる人材が、もしこの青森にきて、起業したい。と思わせるような、今実は、湯浅さんのお話のとおり、文化資源をもっているんだけれども、それをまだその人たちに伝えきれていないし、受け入れても活躍できる場といいますか、そういうシステムというものを構築できていませんので、文化的な資産を活かしたそういう起業といいますか、ビジネスに向けての部分、これから大嶋さんの意見を反映しながら、立木さんも、竹浪さんからも、アドバイスを受けながら、徐々に形作っていくのが新年度のテーマだなと思った次第です。
最初に、ご挨拶に代えてということで、新年度の実行ということをテーマにしましたが、その実行という意味で、ひとつ、ご披露申し上げたいのが、
ただいま私どもアートでオンでは、制度設計の段階ですが、新年度、実現しようと思っていますのが、市民参加型の芸術文化助成。これをなんとかスタートさせたいなと思って、今検討しているところです。市民の皆さんが、そこに関わり、スタート段階からその対象者に関わり、手をさしのべる。
さっき若井さんがいいねということが力になる。といいましたけれども、そういった面で市民が参画して、従来あった助成事業、もうちょっとこう市民の側と一体感を持ったようなものを構築していきたいなと思っているところです。これがとりもなおさず、アーツカウンシルという、一番初めに吉本さんからご説明いただいた中で、アーツカウンシルの本質は助成なんだ、助成事業なんだということをおっしゃっていましたけども、その第一歩、スタートを切ることになるのかなっていうことです。これが実行ということで今日のフォーラム締めにさせていただきたいのですが、
その前に若井さんどうぞ。
(若井さん)
みなさんこんばんは、若井です。
ひとつ、さっきもお話ししたのですが、文化に優れている方、アーティストといわれている方は、特に私が天才だと思っている人間のひとつに、今日会場にいないので言うんですが、田村余一という人間がいます。彼は天才です。ですけど、その天才はですね、皆さん知らないと思います、たとえばYouTube、カタカナでハネトマスターと入れて、検索してみてください。ハネトを楽しくさせるために、どうしたらいいかということを考えていますが、私はそれを依頼したときにですね、彼からギャラいくらいくらくださいとか言われたことが一回もないんですよ、
凄く優れている人ほど、そういうところ別にいいですという形になってしまうんです。だから私がいっているのはとにかく応援することなんです。あの人はやっぱ素晴らしい、僕本当に素晴らしいと思います。他にもアーティストの方いっぱいいらっしゃいますし、交流ありますけど、みなさんそうです。お気持ちはみんなそういう方が多いです。商売ベース考えていません。だからアーティストはやっぱりみなさんで応援しなくちゃいけないですよね。たとえば、ちょっと歌ったときでも、そういうときにやっぱ投げ銭など発生しないといけないと思います。当地の方々はそういうことが疎いです。はっきりいいます。疎いです。それには必ずお金という対価なり、食材という対価でやって差し上げたほうが私はいいと思います。ぜひ。あとはみなさんでいいねということ。それから、さっき、市長がねぶたがね、オリンピックで呼ばれないことはないとすごく心強い言葉でしたけれども、で呼ばれないと思っていて、本当に呼ばれなかったら困るので、ですから言い続けることが大切なのと、あとは誰が旗、旗振れば僕、市長がやっていただければ一番だと思うんですけど、あとどうすればその開会式閉会式の演出に組み込んでもらえるのかということは議論しなければなりませんよね。
大人ですからしっかりと議論したいと思います。以上です。
(嶋中さん)
有難うございました。
本当に、今日は貴重な様々なご意見、まさに、ダイバーシティ、多様性を感じる会議になったのかなと思っております。こういったことを踏まえまして、先ほど申し上げました通り、アートでオンは新年度“実行”段階に移ります。今回のテーマであるロンドンオリンピックに合わせて行われた、このカルチュラルオリンピアード、この展開を参考にしながら、青森でなにができるか。もう少し議論を深めながら、もっと具体的に、着実に、そしてビジョンを構築し、それに対し何をするべきかといったことを積み上げていきたいと思います。
それもこれも地域の魅力をさらに深めて、青森にどんどん人がやって来て、ここに住んで、生活して、生活するだけじゃなくて豊かになってもらって、そのような人のつながりを強固なものにする、そういう土壌がここにはありますので、自信を持って、進んでいきたいと思います。
どうか、それもこれも本日ご参集の皆様はじめ、ひろく市民皆様のお力添えがないとできないことですので、アートで音楽のあるまち青森をめざして、これから頑張っていきたいと思います。
それではお時間ですので、今日はこれで終わりといたします。
みなさんどうもありがとうございました。